「狩猟」をもっと身近に
みなさんは「狩猟」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。
赤ずきんに出てくる、鉄砲を持って山に入る猟師?獲物を自分で殺すからグロそう…?
人によってさまざまかと思いますが、皆さんのイメージのほとんどに共通していることは「狩猟」は現代には関係ない、自分からは遠い世界だということではないでしょうか。
体験学習「『狩猟』から見つめなおす暮らしと仕事」(以下「狩猟」プログラム)履修生の私たちも、履修当初は「狩猟」と聞いて「なんだか珍しい、面白そう!」という好奇心はありながら、まだ店で肉を買えない時代に肉を得るために山に入って獲物を捕っていたという原始的なイメージしか持っておらず、スーパーで肉を買うことのできる現代において必要なことなのだろうか…?とも思っていました。
ですが「狩猟」は自ら山に入り、けもの道の様子や気候、さらには生態系のバランスなども考えながら視野を自然全体に広げて野生動物と対峙し、その命から一つも余らせることなく肉や皮を頂く営みであることを「狩猟」プログラムの一つ一つの活動から学びました。
さらに、「狩猟」プログラムを通して自分が生活するために必要な食べ物や身の回りの環境を見つめると、そこには自分からは見えていないところで多くの動物の命や人々の協力という過程があるということにも気が付きました。
これからの社会を生きていくにあたり、自分や自分の大切な人たちの生活が脅かされる状況をつくりたくない・私たちの今の生活を絶やさずに、これからも繋げていきたいという想いを持つようになると同時に、誰かが自分の見えないところで担ってくれて自分のもとに届いている食べ物や身の回りのものを何の想いも抱かずにひたすらに消費し続けるのではなく、今ある環境や資源に感謝し、最後まで丁寧に使えないかと考えるようになりました。自然全体と協調し、頂いた命を一つ残らず使おうとする「狩猟」という営みはまさにこうした想いを実現させており、今の私たちの日々の暮らしや生き方のヒントになるのではないかと気が付きました。
そして、自分をとりまく社会の背景を見ようとする姿勢を持つことで、日常の中で当たり前だと思っていたことに少しでも多く感謝できるようになり、受け取るだけで終わりにすることなく、自分も社会の中で誰かに貢献できる生き方をしたいと思うようになったのです。
ここまで盛りだくさんに学び、吸収してきたからこそ、こうした私たちの学びをもっと多くの学生にも届けたい!という気持ちも膨らんできていました。
そんな中、 担当教員和栗百恵先生の発案で、「狩猟」プログラムと、社会課題について気軽に語り合う場をつくりたいという想いのもとさまざまな活動を企画・運営している「カタカタ」がコラボしたイベントを開催することに!その名も、「『狩猟』をめぐる夜」。
実施した場所は大学近く、地域共創論という授業やカタカタの活動でもお世話になっているKATAOSA COFEE。和栗先生が関係を築いてこられた、狩猟にまつわる暮らしや仕事をされている2名の社会人ゲスト(多田渓女さん、千松信也さん)にもお越しいただき、「狩猟」を切り口に自分自身の生き方について語り合い、思いを巡らせる夜が静かに幕を開けたのでした…。
至らなさから得た新たな気付き
私(田中)は今回、カタカタメンバーとの準備・運営にも携わりました。学生が主体的にどんな場にしたいのかを考え、描くという機会をいただいたのですが、そこで自分のまだまだ至らない部分に気づきました。それは、チームのために自分にできることを考え、周りをよく観察して行動するということです。
準備では、当日に向けての段取りを考えるためにカタカタメンバーとミーティングを重ね、ひとり一人の役割分担を決めていきました。ですがその時、私は自分に与えられた役割しか見えておらず、全体の運営の状況を把握することができませんでした。その結果、当日までに何を準備しなければならないかを考えて行動する、周りに呼びかけるということをカタカタメンバーに任せきりの状態をつくってしまったのです。
今回イベントの運営に携わり、そうした至らなさを痛感したと同時に「自分とつながって生きる」ということについて改めて考えるきっかけになりました。
これまでの「狩猟」プログラムの活動を経て私が考えてきた「自分とつながった」生き方は、人からの評価を気にして自分を抑えるのではなく、自分のしたいことや言いたいことに正直になるという、いわゆる自己開示的なものでした。ですが、自分の内面をさらけだすことだけでは自分の枠の中で言動が終始してしまい、相手の視点に立った配慮や周りを見て行動するということに欠けてしまいます。
今回のイベント運営のように一つの目標を達成するチームとして自分が存在するとき、自分の割り振られた役割を果たすことだけではなく、役割という枠を超えて、チーム全体が同じ方向に向かって進んでいるかを常に見渡すことを意識し、目標の達成のために自分ができることを考えて行動することで初めてチームとして貢献することができると思います。
例えば、イベント運営にはつきものの予期せぬトラブルなどの状況の変化に対して、人任せにせずに対処方法を考えて行動したり、ほかのメンバーが担当している部分が行き詰っていたらサポートしたりすることでチーム全体の行動の質が向上し、目標も達成しやすくなります。その結果、自分自身もただチームにいて仕事をこなすだけにならず、目標達成に向かって考える、描くができるようになり、運営をすることやチームで一緒に一つの物を作り上げていくことがいっそう楽しくなります。
このように目標の達成に自分の行動を伴わせようとしたとき、意識は「与えられたことをすることだけ」から、「チームの中にいる自分に何ができるのか」に変わり、自分がどうありたいのかを考えていくことができるのです。
今までの自分をさらけ出すだけの「自分とつながった」行動から一歩踏み出し、周囲の状況を観察し、コミュニケーションをとりながら、チームや社会といった集団の中で自分がどうありたいのかを考えて行動に移すことができるようになりたい、一緒に目標を達成していく仲間に貢献することで「創るって楽しい・描くって楽しい」という気持ちをもっともっと広げていきたい!そう思うようになりました。
社会の中で生きる自分を描く
カタカタメンバーや和栗先生、KATAOSA COFFEE店主の萬野貴博さんなど、たくさんの人の協力のもと準備を進め、ついに迎えた当日。「狩猟」プログラムメンバーひとり一人が今まで学んできたことを語ったり、ゲストのお二人による狩猟にまつわるお話を聴いたりと考えを巡らせる2時間半となりました。
ゲストのひとりである多田さんからのお話の中には、猟師のお父様がいて、猟師になるための条件が揃った環境で育った一方で、自分は猟をせずにお金で得られるものを食べて生きていくという決断をしたというエピソードがありました。私は、そんな多田さんの考え方から、ほかの命や見えない誰かの努力によって形成されている社会の中から自分を見つめ、そうした自分を成り立たせてくれている社会に自分がどう働きかけてどんな影響をもたらしたいのかということを考えることが「どうありたい」を描くことであり、「自分とつながる」ことを可能にするのでは、と気が付きました。自分がどうありたいのかは、社会や人とのかかわりの中から初めて見えてくるものなんだ!そう分かってからは、これから自分が福女大で学んだり、将来仕事をしたりと生きていく時に、自分のことしか見えていないよりも、周囲の状況をよく見て、目標を達成していくために必要なことは何か、自分にできることは何かを考えて動き、周りの人と協力できる自分でいたいという、自分の「ありたい姿」が見えてきました。
今は、1月19日に行われる体験学習合同報告会の発表に向けて萬谷と協力しながら、日々奮闘中です。そして2月には新宮町にてシカ解体の見学、4月には「狩猟」プログラム独自の報告会も控えています。まだまだ学びは続きます!(田中)
簡単そうに見えること
幼いころから猟師であるお父様、久保俊治さんの猟の手伝いをしてきた多田さんは、狩猟を身近に、さらには「簡単なこと」のように感じていたそうです。私(萬谷)は今回のイベントを通して、かつての多田さんにとっての狩猟のように、簡単にできるように見えて実際には全く簡単でないことが、自分自身の身の回りにもあふれているのではないかと考えました。
例えば、「毎日の食事を作る」こと。私は、実家暮らしの頃は母親の作った夕食を毎日食べさせてもらっていました。あっという間に作ってもらい、いつもおいしい食事を出してもらって、確かに、ありがたさは感じていましたが、おいしい食事が手際よく、日々欠くことなく出されるがゆえに簡単なことのように感じていました。時折、「今日は私がご飯を作る!」と張り切って作っていましたが、その細切れの行為が「毎日の食事を作る」ことからほど遠いことだと痛感したのは福女大で自炊を始めてからです。
そして、例えば「自分で生活できるだけのお金を稼ぐ」こと。生活の中で食べ物や日用品がないなんてことは一切なく、支障なく生活できることが当たり前でした。自分が生活するのにどれほどのお金が必要であるかさえもイメージがわかず、自分も働けば生活していくことなんて簡単だろうと考えていました。それが簡単なことではないと考えるようになったのは大学生になってアルバイトを始めてからです。
さらに、「イベントを自分の手で作り上げる」こと。田中とカタカタメンバーの奮闘があって実行に至った「『狩猟』をめぐる夜」は、私が気がづいたころにはかなり案が練られていました。主となって動いてくれた人の指示で動いており、受け取ってばかりだった私には、その人たちの奮闘をわかったつもりになることしかできず、「イベントを自分の手で作り上げる」という難しさがわからなかったのです。その後、体験学習「スリランカ Exploring “Development” プログラム」(以下、スリランカプログラム)の学生との交流が欲しいと新たなイベントを立ち上げるために実際に動き始めたとき、当日までの準備の見通しをつけることや、当日の段取りをスリランカプログラムの学生に確認することが思っていたよりも複雑で、何度も練り直す必要があり、簡単なことではないことに気付きました。
全ての簡単そうに見えることが、実は簡単そうに見えただけで全く簡単ではなく、思い違いも甚だしい状態であったことに気付くことができたのは、実際に自分が動いてみたときでした。全寮制の福女大で寮生活を始め、自分で毎日食事を作る立場になったとき、少しアルバイトを始めてみようかと働くことでお金をもらうようになったとき、スリランカプログラムの学生とのイベントを立ち上げるために動き始めたとき、 私の中での簡単という考えは大きく変わりました。多田さんが狩猟は簡単なことではないと気付いたのも実際に初めて自分で獲物にとどめをさそうとしたときだったそうです。
管理栄養士としての自分
私は現在食・健康学科に所属し、管理栄養士となるために日々勉強に励んでいます。背景の違う個人に合わせた栄養指導が求められる管理栄養士は、いかにその人に寄り添うことができるかが重要だと考えます。そんな時、実際にその人の食べ方や暮らし方を体験していない自分が、その人の背景にある環境を十分に想像、検討せずに指導をする管理栄養士では、わかった気になって指示をするばかりで、共に改善していくことができないでしょう。
実際にやってみることが大事だということは今回のイベントでの気付き、また、私自身の「毎日の食事を作る」、「自分で生活できるだけのお金を稼ぐ」、「イベントを自分の手で作り上げる」という3つの体験からよくわかりましたが、やってみることが大事だといっても、全てのことをやってみることは難しいと思います。しかし、やってみるという経験から物事の複雑さを見つめることができました。栄養指導が必要となる人と共に健康問題を改善していく管理栄養士として、その人の健康問題の裏側にある生活習慣、さらにはその生活習慣の裏側にあるその人の考え方といった複雑なところまで想像したり、問い続けたりすることが必要であると考えています。(萬谷)
国際教養学科1年 田中七夕美
最近の私のモットーは「失敗を成長の種にする」。「狩猟」プログラムの学びの中では自分の至らなさに気付いたり、失敗したりすることも多くあります。「狩猟」プログラム履修当初の私は失敗=悪いこと捉えて、失敗したら落ち込むばかりでした。ですが、次第に失敗から目をそらさずに次からどうすればよいかを考えていけば、数々の失敗も必ず自分の成長につながるということが実感を伴って分かってきました。失敗を恐れて何もしないのではなく、自分のやってみたいという気持ち一つでまずは挑戦し、 失敗も成長の種にしていける自分を目指します。
(市立札幌清田高等学校出身)
(2021年度執筆)
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食・健康学科1年 萬谷晴佳
高校時代から追い続けている管理栄養士への夢を今も大切にしています。資格を持つだけの管理栄養士にならないために、周りからの「食・健康学科は忙しい」にとらわれずに幅広く様々なことにチャレンジし続けています。自分から動き出した人しか手に入れることができない成功も失敗も、自分の財産として次への励みにしていくことをモットーとしています。今よりも成長した自分になるために、今年度の「狩猟」プログラムをやり遂げていきます。
(名古屋市立菊里高等学校出身)
(2021年度執筆)
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