自分とつながって生きる

体験学習で『狩猟』!?

 はるばる県外から福女大に入学したばかりの4月、真新しい環境の中で何かに挑戦してみたいという思いで体験学習の説明会ブースに足を運びました。そこで出会ったのが「『狩猟』から見つめなおす暮らしと仕事」(以下、『狩猟』プログラム)です。「狩猟」という自分になじみのない2文字に釘付けになっていた私に、前年度『狩猟』プログラム履修生の先輩方が授業の内容や、どのようなことを学んでいくのかを教えてくださいました。

 中でも、担当教員の和栗先生が学外で「狩猟」に関わる暮らしや仕事をされている方々とセッションをする機会を設けてくださるゲストセッションでは「面白い(=当たり前にとらわれない、自由な)大人」に出会えるよ!と口をそろえておっしゃっていたことが印象的でした。これは挑戦するしかない!そう思い、履修を決めました。

「面白い大人」との出会い―マタギ×絵画作家、永沢碧衣さんとのゲストセッション

 2021年10月13日には、和栗先生が秋田県で絵画作家として活躍されている永沢碧衣さんとzoom上でゲストセッションを行う機会を設けてくださいました。永沢さんは絵画作家でありながら、マタギ(主に東北地方に伝わる、集団で独自の文化に基づいて狩猟をする人たちをさす)という肩書も持ち合わせている「面白い大人」で、絵画作品にはご自身がマタギとして猟をする中で得た独自の世界観が描かれています。

 セッションでは履修生の質問も交えつつ、永沢さんから絵画作家でありながらマタギでもあるという今に至った経緯をお話いただきました。さらにセッション後も、セッション中の言葉から見えてくる永沢さんの価値観と自分自身の価値観を照らし合わせ、自分の在り方について自問していき、学びを深めていきます。

ゲストセッション中に永沢さんが見せてくださったご自身の絵画作品

自分に正直に生きる

 私は、永沢さんが何度も「自分にうそをついて生きることだけはしたくない、自分に正直に生きたい」とおっしゃっていたことが深く印象に残り、私自身の生き方についても考えさせられました。

 高校まではテストの点数や学校の成績というかたちとなって表れた結果が重視されて評価される環境で育った私にとって、人からの評価というものは絶対的なものでした。そのため、自分の価値も人からの評価の中にあると考え、自分を押し殺してまで人から良く思われそうな言動をとってしまいがちでした。

 永沢さんは絵画作家を始めた当初、人に感動してもらえる絵をつくることを目標に作品 をつくっていましたが、そうして出来上がった絵がいくら人を感動させても「自分の中身 が伴っていないから全然うれしくない」ということに気づいたそうです。人からどう思われるかを絶対とする私の他人軸な振る舞いも、永沢さんが絵を描き始めたころ感じたことと同様に、自分の中身が伴わないゆえにいくら人からほめられようと喜びは感じられない、空疎なものでしかありませんでした。人から高評価をもらうことがゴールだという決めつけが自分の考えや行動を不自由にさせ、自分の中身をも失わせているのだということに気が付いたのです。

他人軸から自分軸へ

 セッションを通して、現在の永沢さんが描く独自の世界観を持った絵画作品には、他人 ありきの状態から抜け出し、自分の描くものの本質は何か、自分がどうありたいのかということを模索し続けたという過程があることを知りました。

 また、女性でありながらマタギという肩書も持つことに対しても、世間一般がみなす女性の型にはまらずとも自分に正直に、好奇心を持ったことに向き合っていこうとする姿勢があり、自身や物事に対する誠実さが感じられました。私は今まで他人からの評価を気にして、目に見える行動や振る舞いばかりを正そうとしてきましたが、永沢さんのように自分と正面から向き合い、自分自身の在り方を問い続けることで生まれる過程こそが自分らしさであり、生きがいでもあるのではないだろうかと思うようになりました。

 今回のセッションで、他人から評価されることがゴールではないと気付いたことで、以前よりも「人からどう思われるのか」よりも「自分がどうしたいのか」を行動の軸にできるようになりました。例えば授業で分からなかったことを誰かに聞きたいとき、以前なら「こんなことも分からないのかと思われたらどうしよう…」と考えてなかなか聞けずにいたことも、「自分のために理解を深めたい、分かりたい!」という思いを軸にすることで、すぐに聞くことができるようになりました。こうした日々の小さなことから、自分を軸にした振舞いをしていくことをこれからも意識して、少しでも永沢さんのような自分とつながった生き方に近づいていきたいです。

国際教養学科1年 田中七夕美

 福女大の体験学習「『狩猟』プログラム」でさまざまな人との出会いや体験を通して、自分自身がどうありたいのかということを自問する機会をたくさん得ています。高校までと違って正解のない問いに、はじめは戸惑いもありました。ですが、分からないなりにでも「なぜ自分はそう考えるのか」「どうありたいのか」と考え続けていくことで、自分のとらわれている枠組みに気づき、もっともっと自分を自由にさせてあげることができるようになります。

 今、少しずつ自分の決めつけやとらわれから自由になってきたことで、これからも福女大でいろいろなことに挑戦してみようという気持ちが湧いています。

(市立札幌清田高等学校出身) ※2021年執筆

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