人をケアする自分が好き~胸を張ってそう言えるようになるまで~

 高校生時代の私が今、「リーダーシップ」という題で文章を書いている私を見たらきっと驚く。「いやいや、あなたがリーダーシップを語って大丈夫?」と。中学生のころリーダー的な役職に就こうとして遠回しに先生から断られたことがある私は、そう考えるぐらい、自分はリーダーシップとは無縁のところにいる人間だと思っていた。
 そんな私と「リーダーシップ」との出会いは、今から1年半前、大学に入学したときに遡る。
※なお、文章内では「自分」と「じぶん」という2つの表記を使い分けている。「自分」は、単に自身のことを(この場合は黑光千穂を)指している。一方、「じぶん」は自身の内面的なものを指しているということを踏まえて読んでいただけるとうれしい。

「リーダーシップ」との出会い

 入学したての4月、履修を考えるために科目一覧を見ていて目に飛び込んできたのが、国際文理学部講究Ⅰ「英語で学ぶリーダーシップ①」。

 リーダーシップというのはいわゆる集団の先頭を立って、その他の人を引っ張ることができる力。リーダーになる人が求められている力。そう考えていた私は、リーダーシップを学ぶと聞いても「??」。どういうことなのか興味を惹かれ、国際文理学部講究Ⅰ「英語で学ぶリーダーシップ①」の履修を決めた。

 授業の中では、Kouzes. J. & Posner. Bの“The Student Leadership Challenge: Student Workbook and Personal Leadership Journal”という教科書を使い、彼らのリーダーシップの定義や実践方法などを学んだ。例えばこんな感じだ。

“Leadership is the art of mobilizing others to want to struggle for shared aspirations.” (※1)

 …正直に書くと、イマイチ理解できていなかった。リーダーシップというのが先天的なカリスマ性を指しているわけではないこと、全ての人が発揮できるものだということなど、書いてあることは文章として、頭では「わかる」が、それが具体的にどんなことを意味するのか、自分が生きてきた人生の中での具体的な経験とも結びつかず、「頭でわかっている」だけだった。

 「リーダーシップ」の概念との出会いも「へえ、そんなのもあるんだ」という感想だったぐらいだから、すぐに日常の生活で「リーダーシップ」の発揮を試みたわけではない。「リーダーシップ」は皆が発揮していいものだとは言っても、前述のリーダーシップ観が邪魔をして、自分なんかが…と思ったり、「リーダーシップ」を発揮しようとして、他の人に煙たがられたら嫌だという心理がはたらいたり。そうしているうちに「リーダーシップ」は意識の外に追いやられてしまっていた。

(※1)Kouzes. J. & Posner. B, (2013) “The Student Leadership Challenge: Student Workbook and Personal Leadership Journal”, 10

体験学習「スリP」

 次に私が「リーダーシップ」を意識したのは1年の夏休みのこと。「リーダーシップ」の概念を学んでいた1年次、私は体験学習科目の「スリランカ・Exploring “Development”プログラム2021」、通称スリPを受講していた。ちなみに、スリPのシラバスの学習目標にも「リーダーシップ」を学ぶことが示してあった。が、それを意識することがないまま、私を含めた6人の履修生で「積極的な愛ある居場所を作ろう」というチーム目標を立てていた。(つまり、「リーダーシップ」と「チーム」を関連づけて考えることができていなかったのである。)

 そして、その目標のもと、スリランカに関する文献を講読したり、「開発」について勉強したりした。でも、夏休みに入り、メンバーそれぞれのスリPに対する熱量の差から生れる、お互いへのもやもやが目立つようになってきた。文献を講読すると決めても、期日までに読んでこないメンバー。中途半端に読んできているくせにその場をうまくやり過ごして見せるメンバー。忙しいのに、きちんと読んでくるメンバー。(ちなみに私は中途半端組だった。みんな、ごめん…。)

 いまいちパッとしない状況だった時に、また、新学期前の履修登録期間がやってきた。そして、科目一覧の中に国際文理学講究Ⅰ「英語で学ぶリーダーシップ②」の文字。懐かしい。②は①で途中だった教科書の続きをするということで、せっかく教科書も買っているしという思いもあり、②も履修することに決めた。

「リーダーシップ」の実践の場としてのスリP

 10月。国際文理学講究Ⅰ「英語で学ぶリーダーシップ②」の授業において、何度もリーダーシップについて、他の履修生と話したり、時には発言しやすい雰囲気をつくりたいと場所を教室から外に移したりと工夫したりしていた。そうしているうちに、「リーダーシップ」はチームがよりよくなるために、そして共通の目標を達成するために発揮されるものだ、今まで言葉として理解していたものがストンと自分の中に落ちてきたような、本当の意味で理解できたような気がした。そして、「リーダーシップ」の実践の場としてスリPは格好の場だと思うようになった。スリP履修生もチームとして在りたいという思いを共通に持っていたし、科目として、共通の目標も持っていたからだ。

授業をもっと意見を言いやすい場にしたいと話し合い、雰囲気を変えてみるために先生にお願いして授業を教室の外に出て行うことにした。

 私が学んだ「リーダーシップ」は「全員発揮型」のリーダーシップ (※2)。以前の私のように、「リーダーシップ」を発揮できるのはその素質のある人物だったり、部長や委員長といったリーダーとしての立ち位置にある人だったりと思っている人は多い。でも、「リーダーシップ」は誰もが学び取れて、発揮できるもの。だから、私だけではなく、スリP履修生全員が「リーダーシップ」を知っている状態にしたい。そして、お互いの特性を活かしてリーダーシップを発揮しよう、そしてチームをより良いものにしていこうと考えた。実はもう1人、私と一緒に「英語で学ぶリーダーシップ」を履修していたメンバーがいたので、2人でその他のスリP履修メンバーたちに「リーダーシップ」の概念を広めることにした。

 そうして、残り4人とも「リーダーシップ」という共通認識を持つことはできた。よし、実践していこう!と考えた私たちだったが、すぐに上手くいったわけではなかった。「リーダーシップ」の発揮には、チームが今どんな状況か(チームメンバーそれぞれがどういった状況かも含む)、チームの状況をよりよくするために自分がどんな行動をできるか意識している必要がある。でも、そんなに急に「リーダーシップ」を常に意識・実践しようとしてもなかなか難しかったため、定期的に、チーム状態・メンバー個々の状態や目標を確認し合う時間を作った。

 それを繰り返すうちに、私たちは「仲間」になっていった。それも、「むかつきあえる仲間」に。

(※2)Kouzes. J. & Posner. B, (2013) “The Student Leadership Challenge: Student Workbook and Personal Leadership Journal”, 12

新しいリーダーシップ発揮の場

 2年になり、新たな学びの場として、福女大の準正課活動の一つ、「教職員から構成される委員会に参画する学生委員」制度(以下「学生委員」)で、新規に学生委員受け入れを始めたばかりのキャリア支援部会にエントリーした。どんな活動ができるか、メンバー9人で考えていったところ、1、2年生に向けて、就活のハードルをもっと下げることができるような講座を開いてはどうかという話になり、その企画に取り掛かった。こちらも、共通の目標をもつチームとしての活動。スリPでの経験も踏まえ、どう「リーダーシップ」を発揮していくか、発揮してもらうか、意気揚々と活動に参加し始めた。けれど、早くも、そしてスリPの時以上に、チームをうまく機能させられていないと感じるようになった。一部のメンバーの意見がそのままチームの意見になってしまい、他のメンバーの意見が引き出せない。皆がどうしたいのか分からない。もやもやすることが多くなっていた。そんな中、「リーダーシップ・キャラバン」に参加してみないかというお声がけをいただいた。

「リーダーシップ・キャラバン」に参加して

 リーダーシップ・キャラバン(以下、LC)とは、早稲田大学と株式会社イノベストが主催し、各大学で「リーダーシップ」関連の科目を履修した学生の「リーダーシップ」の向上を目的に開催されているもの。2022年は8月末の3日間にわたって開催され、全国計16大学から62名の学生が参加し、私はその中のひとりだった。参加学生が9つのチームに振り分けられ、そのチームで「実現したときに涙が出るほどうれしい、メンバーが抱える問題を改善する企業プラン」を練り、発表した。発表時は9つのチームが3つずつのグループに分けられ、そこで3名の審査員によって審査される。そして、各グループから1チームずつ、本選進出チームが選出され、本選では、協賛企業5社と学生から審査を受けた。(本選チームは早稲田大学日本橋キャンパスにて行われる報告会に招待されることになっていた。これには後日談がある。以下の「私のリーダーシップ」に続く。)

 3日間を通じて、「リーダーシップ」を共通認識として持ち、自分や他者のリーダーシップを育みたい人たちの集まりだからか、「じぶんを出していい」が前提にある、安心して意見交換ができる場だと感じた。これは、ちょうど、学生委員の話し合いの場で行きづまっていた頃。学生委員はもちろんのこと、それだけでなく、授業のブレイクアウトルームなどもLCのような場にしたい、そのために「リーダーシップ」をもっと広めたい、そんな思いが強くなっていった。

 そして、その思いを実現するために学内でLC報告会をしたいという気持ちに、女性リーダーシップセンターが応えてくださった。オンライン開催で、42名の参加者。20名ぐらいの参加かと予想していたところ、その倍以上の方にご参加いただき(学生だけでなく教職員の方々にも)、多くの方に「リーダーシップ」に興味を持っていただけたのがとても嬉しかった。

LC報告会後にとったアンケート。学生だけでなく、教職員の方からも「リーダーシップ」へのご意見・ご感想をいただいた。

私のリーダーシップ

 リーダーシップとは無縁だと思っていた私だったが、「英語で学ぶリーダーシップ」の履修から始まり、スリP、学生委員、LCへの参加を経て、「リーダーシップ」とは目標達成のために他者・チームへ及ぼす良い影響力のことだ、そして、それは誰か一人だけ発揮するものではなく、誰でも全員が発揮できるものと考えるようになった。

 そして、発揮するためには、じぶんはどんなことが得意か、苦手か、どうなりたいか、何をしたいかなど、自分自身のことを知ろうと知り進める必要がある。

 そんな「じぶんを知る」について、一連の「リーダーシップ」の学びを通じて考えたことがある。

 1つ目。実はLCで、私のグループは本選まで進むことができた。いざ、早稲田大学に行くかどうか…となった時、私は初め、行かないという選択をした。いや、選択をしたというよりは、行きたいという気持ちはあったけれど、次の日の午後から所用があるから行けないや~と機械的に考えていた。だが、それをお世話になっている先生に話したところ、「いや、行けるじゃん。行きたいなら行きなよ。」と。懸念事項だった、次の日の予定は、飛行機の時間を調べてみると(いや、調べてなかったんかい…)間に合うことが分かる。しかも、交通費も一部出るという至れり尽くせりの状況。

 ハッとした。「私はこうしたい」を妨げる何かがあると、それを「素直」に受け入れている自分がいるのだ。素直にというと聞こえはいいが、要は何も考えていない。突きつけられ、目の当たりにしたじぶんの姿だった。

 もう1つ。人と関わり続けるって結構しんどい。深いところで付き合えば付き合うほど、もやもやは抱えやすくなる。傷つけてしまうこと、傷つけられることもある。そして何より、関わられることを面倒くさいと思う人がいることも知っている。それでも私は、人と関わりたい、「これ、よろしくね」とポイっと人に頼むのではなく、その人がどんな状況なのかを知り、どうしたら動きやすくなるのか考えるなど、人をケアする行動をとっていきたい。そう思えるようになったのは、「リーダーシップ」を学んで、様々な人との関わり方を知ったからだと思う。そして、なによりケアしているじぶんが好きだと言えるからだ。これは、今の時点での私のリーダーシップ。きっとこの先、また別の経験を通して、「私のリーダーシップ」は変化していく。変化していくことは悪いことではない。どんな変化をしていくにせよ、その時のじぶんが好きでいたい、そう思う自分がいることに気が付いた。

国際教養学科2年 欧米言語文化コース 黑光千穂

座右の銘は「なんとかなる」。
失敗を恐れて何かに挑戦することを躊躇しそうになった時、私にとって「なんとかなる」は力強い励ましの言葉です。この言葉を口に出すことで、大変だな、きついなと感じる瞬間も乗り越えられているように思います。
(福岡県立宗像高等学校出身)
(2022年度執筆)

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