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活動報告2026.03.22
2025年度GL演習活動報告「国際NGO職員・長島さんとの企画から振り返る変化」
凸凹コンビで走り抜けた、GL25の前後半戦
長島さん企画にて。企画メンバーは、中央の椅子に座った長島さんに並び一列目に勢ぞろい。米国ジョージ・メイソン大学でリーダーシップ開発教育に携わる山中葵先生(後列左から2人目)も一緒に!
渕野2年生と中野5年生という学年も経験も全く異なる異例の凸凹コンビで、和栗百恵先生、豊貞佳奈子先生のご指導のもと、やってみる、感じる、考えることを大切にしながら、グローバルとローカルの視点を往還しつつ、対自己・対他者・対社会にどう関わっていきたいか模索してきました。
この記事では、私たちGL25が2025年9月27日に実施したイベント「OG×在学生マッシュアップ」以降の後半戦、特に、国際NGO職員の長島美紀さんの企画に焦点を当てます。この企画からどのような学びを得たのか、また、後半戦を経た今、自己・他者・社会へどのように関わっていきたいと考えるようになったのかについてお届けします。
*私たちの前半戦のあゆみは、「2025年度グローバルリーダー演習履修生がOG対談イベントを企画運営:『何となくつつがなく』に抗うために」からどうぞ。
【目次】
1. 諦めを希望へ:長島さん企画の概要
2. 1人の壁と大人数の壁
3. 何のために頑張るのか
4. 通過儀礼を乗り越えていく
企画メンバー渾身の作。
1.諦めを希望へ:長島さん企画の概要
私たちは前半戦で「何となくつつがなく」に抗ったはずなのに、どこかもやもやが残っているのに気づきました。後半戦で私たちが向き合ったのは、そんなもやもやの正体です。そのきっかけは、国際NGOプラン・インターナショナルの職員として国内外で活動されてきた長島美紀さんを迎える企画づくり。女性リーダーシップセンター主催の教職員向け研修の講師として長島さんがご来校なさると聞き、有志学生でイベントを企画することにしたのです。
その企画は、「みんながリーダーである」という気づきを、理論と対話を通して自分ごとにすることを目的として、2025年11月27日に「リーダーシップは誰のもの?国際NGO長島さんと『諦め世代』のガチトーーーーク」として結実します。企画チームは私たちGL25に加え、2024年度からGL演習を履修していたGL24の4名、そして、体験学習「『狩猟』からみつめ直す暮らしと仕事」プログラムから1名を加えた、計7名構成です。
準備を経て迎えたイベント当日。オープニングでは、オーウェン著和栗ほか訳(2024)で紹介されているHarro(2018a, 2018b)の「社会化のサイクル」と「解放のサイクル」を手がかりに、企画チームメンバーが無意識に内面化してきた抑圧を紹介。「諦めてしまいがち」といわれる私たちZ世代を「諦め世代」と名付け、「諦め」の根っこに潜んでいる、「立場的リーダー固定観念 とジェンダー規範が重なった抑圧」と「先回り用意され過ぎ守られ過ぎ社会という抑圧」について考えました。この抑圧がどのようにつくられ、そしてどうすればそこから解放できるのか、私たち自身のストーリーも交えて紐解いていきました。
オープニング後の第1部では、長島さんのライフストーリーを伺いながら、「解放のサイクル」(画像参照)のまわし方を考えました。
・誰かに言われたから、それが常識だから、と選択を他人や社会に委ねるのではない。
・プラン・インターナショナルが目指すのは、女の子が、学び、先頭に立ち、自分で人生を決定し、差別や暴力のない環境で成長できるようにするための「エンパワーメント」だ。
・既知(当たり前)が未知(実は知らなかった)だったという発見があった。
私自身が今まで聞いたことも考えたこともない、時に衝撃的で、時にユーモアのある長島さんのライフストーリーを聞きながら、「解放のサイクル」のどこに当てはまるんだろうと考えを巡らせる時間となりました。
第2部では、参加者からその場で募ったテーマをもとに長島さんとのガチトーク。諦めやためらいを個人の問題として抱え込むのではなく参加者同士で共有することで、自分ひとりだけの問題ではないということに気づかされる機会となりました。挑戦することへの最初の一歩をどうやったら踏み出せるのか、と長島さんに伺った際の「小さなことや、難易度の低いことにまずは挑戦するといい」というアドバイスは、私にとっての挑戦へのハードルを下げてくれ、大きな励みとなりました。そしてここで、長島さんとのセッションパートは終了となりました。
長島さんを見送った後には、学生のみでランチセッションを行いました。ここでは、参加学生それぞれが、持参した昼食を食べながら、長島さんとのセッションを振り返り、自分自身の「解放のサイクル」を作成しました。作成を通して、これまで自身が諦めてきたことがどう希望に変わり得るのか考え、具体的なネクストアクションを明確にする時間となりました。
企画終了後に参加者に回答への協力をお願いした事後アンケートには、次のような声が寄せられました。
「社会のことや周りのことをただ知るだけだと『フーン』で終わったり、優等生的なコメントだけで終わってしまうことがあるけれど、いろんな物事の課題をつなげて考えてみることで、自分の身近なことにも置き換えて考えやすくなりそうだと思った。」
「抑圧ってなに?という気持ちが正直ありました。考えても浮かびませんでした。」
「今回参加した人たちは【抑圧を認識している人】だ(逆に言えば参加していない【抑圧を認識していない、見て見ぬふりをしている】人もいる)と思うので、認識できる人をどう増やしていくかは、参加者各々の解放のサイクルの回しどころかなと思います!!私も頑張って回します。」
これらの声や、参加してくださった米国ジョージ・メイソン大学の山中先生のコメントから、もやもやの正体や社会構造について十分検討するに至れなかった、いうことに私たちは気づきました。これで終わらせたくない、という企画メンバーからの想いから生まれたのが、スピンオフ企画「解放Weeeeek!@FWU」です。この企画については、中野朱梨による報告書もぜひご覧ください(近日中に女性リーダーシップセンターHP新着情報で公開されます)!
上段はHarroの「社会化のサイクル」と「解放のサイクル」、下段は企画チームがHarroの「社会化のサイクル」を援用して作成したオリジナルの社会化のサイクル。
第2部で渕野がファシリテーション。Slidoを活用し、リアルタイムで参加者からトークテーマを募る。
2. 1人の壁と大人数の壁
ここからは、国教2年生・渕野柑菜の視点からの語りとなります。
2人で準備を進めてきたこれまでの活動と違い、企画チーム人数が今までの3倍以上となるなど、がらっと変わった環境で進めた長島さんとの企画。その中で私は2つの壁に直面しました。
1つ目は、「1人の壁」です。
企画初期は中野朱梨(あかりん)の教育実習期間と重なったことで、始めはメンバーからあかりんが抜け、構成はGL24が中心で、GL25は私1人。学年も経験値も異なる中で、自分でも気づかないうちに遠慮してしまった場面が何度もありました。その場面とは、ミーティングの進め方に対してもっとこうした方がいいのではと思ったときや、役割を引き受けてくれているメンバーへ声掛けをしようか迷ったとき。座学で、エイミー・エドモンソン教授による「心理的安全性」について学び、知識はあったはず。
しかし実際の場面では「GL24メンバーがずっとやってきている進め方を崩してうまくいかなかったらどうしよう」「私が声を掛けて手伝って逆に時間がかかったら迷惑だよな」といった恐れからか声を出せなかった自分がいました。
2つ目は、「大人数の壁」です。
人数が多いチームだったからこそ、能力やそのキャパシティのある人に任せてしまっても大丈夫だという考えが生まれてしまったのだと思います。結果、メンバー間で引き受けている仕事量に大きな差が生まれてしまいました。
さらにこの場面にも心理的安全性を築けていなかったことが影響していたと思います。自分が引き受けた仕事なのにできていないことに対してメンバーからどう思われるかが怖くて、きつくてもきついと言えない、他のメンバーに助けを求められない、自分が代わりにやると言い出せない、といった状況を生み出していました。
また、「できる人に任せて大丈夫」という考えは、役割の範囲を超えて全体を見る視点も弱めていました。企画を3部構成にしたので、チームも3つに分けて準備を進めたのですが、各チーム間でのアウトプットイメージの共有が不十分なまま当日を迎えてしまい、私が担当した第2部は、正直に言うと悔いが残る結果となりました。その場の盛り上がりなどの雰囲気に流され時間管理ができず、その場で募るトークテーマをいかにイベントの趣旨とつなげるか、準備段階で気をつけようと話していたはずなのに本番では考えが至らず…。さらには第1・3部の担当チームに事前の情報共有も十分にしていなかったので、迷走する第2部担当チームに対して助け舟を出せない状態にもしてしまう。気合を入れて臨んでいたはずなのに、結果的にぐだっとした空気感をつくってしまったのでした。
その後にメンバー全員で行ったリフレクション。ただの反省会ではなく、お互いの良かった点、もっと良くできる点を探して伝え合い、自らの次のアクションについても考える機会です。
痛感したのは、あかりん以外のメンバーの、「みんなの企画だ」という意識の薄さでした。自分の担当外、役割の外側に対してはどこか他人事になっていたのです。「自分の担当チームではないけれど、そのチームがうまくいかないのは私の責任」というあかりんの言葉にハッとしました。自分の役割以外に責任を持てていないのは、つまり企画全体に責任を持てていないということに気づき、役割を超えることの重要性を実感しました。
1人も大人数も、前半戦にはなかった経験でした。
GL25であかりんと2人のときはやっていた、できていたことが、大人数になるとやらなかったり、できなくなったりしてしまう。なぜ「やらなくても何とかなる」ときに他の人に任せて「やらない」を選んでしまうのか。私の中に1つの疑問が残りました。
3. 何のために頑張るのか
企画当日、第1部にて長島さんはこれまでの人生を振り返りながら、「他者からの期待が、何かに挑戦するときの原動力になっていた」と語ってくださいました。この言葉は、私に残っていた疑問を解決するヒントとなりました。
前半戦までの私は、GL活動において、自分自身が成長することを目的に頑張ろうとしていました。しかし、成長そのものを目的にすると、動機も達成感も自分の内側だけで完結されてしまいます。自分の頑張りに満足したとしても心残りがあったとしても、頑張った結果がうれしいものであったとしても悔しいものであったとしても、自らの感情を仲間に分かち合えず、苦しくなりがちなことに気づきました。
その気づきのきっかけは、 横浜桐蔭学園理事長の溝上慎一先生の研究会に参加したあかりんが
主体性が育つとは、与えられた役割や状況にただある、その場その場で作り変えられる存在(即自)から、自分自身に向き合ってあり方を問い直し、自らで選び取った軸のある存在(対自)へ、という移行も含みます。
私が考えたのは、その移行は「自分が成長したい」だけでは起きないのだろうということ。自分は他者や社会にどう関わっていきたいのかを、具体的な経験や自分の想いから見つめ、実践しながらまた確認し、ありたい自分に近づいていくことで初めて起きるのだろうと、「即自」的な自分と重ね、気づいたのです。
私は初め、「成長したい」という想いからGL演習を履修しました。「自分はこれをすることになっている」「自分には胸を張って得意だと言えることがないからこれをまずやらなきゃ」と、頑張る理由を必死に探しながら、私自身を、自分の内側で完結してしまう狭い枠に閉じ込めていたのが、まさに前半戦の私です。自分の内側で物事を考えるからこそ、仲間や周りの環境への影響を十分に考えられず、「やらなくてもいいや」になっていたと考えます。
そんな私でしたが、いつの間にか「1人でも多くの福女大生が気づきを得られるようにしたい」「あかりんに恩返しがしたい」「チームの力になれる自分になりたい」といった、他者や社会への関わり方に着目した想いが原動力となり、動くようになっていました。後半戦の私は、漠然とした「自分の成長」を目的にはせず、様々なことに挑戦しやり遂げました。その過程を経て、結果、気づけば自分のスキルは成長していました。成長については、活動中は本当に意識をしていなかったので、仲間からのリフレクションで初めて気づいた部分がほとんどです。
他者へこう関わりたい、社会へこう関わりたいといった想いで、ただひたすら全力で挑戦を続けていた後半戦。そこで感じた感覚を、私は一度経験したことがありました。それこそまさに、前半戦のあゆみをまとめた記事で述べた「没入」です。「OG×在学生マッシュアップ」にご登壇くださったOGの方々へ感謝を伝えるべく、必死に制作した動画。動画制作への「没入」を通して、頑張ることを楽しむ、頑張ることへ前向きになるという感覚を実感したことを書きました。
しかし、今振り返ると、記事を執筆した時点での私は、「没入」へのトリガーを知らずにいました。でも今なら、その理由を言葉にできます。
「時間やお金、エネルギーを割いてご登壇くださったOGのみなさんに少しでも良いものを届けたい」
「イベント準備の前半をあかりんに任せっきりにしてしまったから、今からでも自分にできることをできる限りしたい」
そういった他者への想いが、無意識のうちに原動力となっていたと思うのです。
後半戦を通して、「成長とはそれ自体を必死になって追いかけるものではなく、誰かや何かに本気で向き合う中で後からついてくるものなのだ」と、少しずつ理解している実感があります。
解放Weeeeek!@FWU最終日のGL25、渕野(左)と中野(右)。
4. 通過儀礼を乗り越えていく
あかりんはもう卒業です。あかりんという大きな背中を追いかけて、がむしゃらに走り抜けた1年間だったからこそ、その背中が見えなくなることへの不安は、正直とても大きいです。でも最近、そんな自分の中の不安に気づき、それに対してどうするか対自的に向き合うという機会、「通過儀礼」なのだと思えるようになりました。
受け取る側から、渡す側へ。
あかりんから受け取ったものを、次の世代へ手渡していくこと、それこそが今の私が目指す、他者と社会への関わり方です。そしてそれを実現するために、私自身で正解を模索しながら、この1年間にできなかったことにも恐れず挑戦すること、これが今の私が目指す、自分自身への関わり方です。
自らが一番に掲げる目的が成長ではなくなった今、「漠然と」ではなく「何のため」を問い続けながら、対自己・対他者・対社会へどう関わっていきたいか、まだまだ模索していきます。